原爆ドーム
所在地  広島県広島市中区
広島県庁西500m平和記念公園北東すぐ
最終訪問日  2000/6/5
原爆ドーム全景 平和記念公園のすぐ横にある、世界遺産に登録されている史跡。
 もともとの建物は、大正4年にチェコ人建築家ヤン・レツルの設計によって建築され、当初は広島県物産陳列館という名前だった。大正10年に商品陳列所、昭和8年に産業奨励館という名前に変わり、原爆が投下された当時は行政機関や組合などの事務所となっていた。
 昭和20年8月6日午前8時15分に原爆が投下されたが、原爆が建物の東南約160mの上空約580mという近さで炸裂した為、超高温の熱線と凄まじい爆風を受け、瞬く間に3階部分が崩壊し、中にいた人は全員即死したと考えらている。そして、天井から炎を吹き上げて炎上し、外壁や鉄骨などを残すのみとなった。
 爆心地に近かった割に建物の骨格が残っているのは、ドーム部分の屋根が銅製であったことから先んじた熱線で銅が溶解して爆風の影響をあまり受けなかったことや、爆風を真上から受けたことによって外壁の一部が倒されなかった為、倒壊を免れたらしい。
 戦後は、天井ドーム部分の鉄骨がむき出しになった廃墟のまま放置され、その傷ましい姿を見た広島市民が誰とはなく原爆ドームと呼ぶようになったという。そして、原爆の被害を伝えるシンボルとして昭和41年に広島市議会で永久保存が決定され、平成8年には世界遺産へも登録された。
 戦後かなりの時を経た今でも、その近くを通ると、おどろおどろしい姿雰囲気と無残な姿が目に焼き付く。広島市街が復興し、完全に都市化された現在でも、原爆ドーム周辺の一角だけは完全に異質な雰囲気が漂っており、刻み込まれた傷跡が伝える冷徹な事実というものには歳月を超越する迫力がある。補修工事によってドームが崩壊する可能性は数十年は無いらしいが、原爆投下直後からボロボロになりながらも崩壊せずにここに建っていたということを考えると、ドームが何か後世に語り継ぐ使命感を持っているように思えてならない。