石田三成陣所跡
所在地  岐阜県関ヶ原町
JR関ヶ原駅西北1km
最終訪問日  2002/11/13
 慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原の合戦で、事実上西軍の総司令官だった石田三成が陣を敷いた場所。
 三成は、この笹尾山の麓に猛将島左近勝猛を、中腹に蒲生郷舎を配してそれぞれに馬防柵を作らせ、6千余の兵で細川忠興や黒田長政の1万以上の兵と相対して西軍をよく支えた。だが、小早川秀秋の裏切りと、連鎖的に発生した赤座直保や小川祐忠、朽木元綱、脇坂安治の寝返りで大谷吉継隊が壊滅すると、宇喜多秀家隊、小西行長隊も相次いで崩れ、三成の部隊も勝猛隊と郷舎隊が壊滅し、三成はすぐ脇を走る北国脇往還に沿って退却、伊吹山中に身を隠した。しかし、1週間後に体調を崩して弱ったところを捕縛され、京都の六条河原で斬首された。
 東軍を囲むように鶴翼に広がった西軍の陣形の中で、一番北に位置するのが三成の陣があるこの笹尾山で、笹尾山自体はそれほど高くないが、伊吹山系に繋がる高地であり、ここからは関ヶ原の戦場全体が見渡せる。見渡せるだけに、松尾山の小早川秀秋や、南宮山の毛利軍が動けばすぐに決着がつくというのが一目瞭然であったはずで、三成にとっては相当悔しかったと思われ、また、動かないことに焦りもしただろう。ここに登れば、その状況がありありと想像でき、三成の心情は察するに余りある。