小浜城 所在地 福井県小浜市
国道162号線沿い北川南川間
区分 平城・水城
最終訪問日 2001/9/13
天守台の石垣 小浜城は、北川と南川によって作られている三角州の中に、この地に入部した京極高次が築城した。
 高次は、名門近江源氏の末裔で、戦国時代には浅井氏に下剋上され、近江北半国の国主を取って代わられていた家だが、秀吉の側室淀君の妹が室であった為、豊臣政権下では累進した。この為、蛍大名とも呼ばれるが、関ヶ原の合戦の際には、西軍と東軍のどちらに付くか逡巡したものの、東軍に味方すると決めた後は居城大津城に西軍の大軍を迎えて一歩も退かなかった。最終的に高次は和睦開城したものの、大津城攻略軍を関ヶ原に参陣させず、これが家康に評価され、戦後に小浜へ加増転封となったのである。
 小浜に入部した高次は、かつて若狭武田家の居城があった後瀬山城へと入ったが、中世的な山城で平時の治所としては不便な為、慶長6年(1601)からこの小浜城の築城に取り掛かった。京極家は高次の嫡子忠高の時の寛永11年(1634)に出雲松江へ移封となり、代わって酒井忠勝が入部したが、城の工事は続けられ、天守閣を含めてようやく完成している。そして、この酒井家が江戸時代を通じて小浜を領し、維新まで続いた。
 城郭の遺構としては、本丸と天守台の石垣は残っているが、その他は周辺の埋め立てや宅地化が進んで遺構を確かめる事ができない。当時は本丸の周りに内堀があり、北川、南川と外堀に囲まれて二ノ丸、三ノ丸、西ノ丸、北ノ丸があった。明治維新後は陸軍省の管轄となったが、鎮台を置く為の工事中であった明治4年に出火し、建物は焼失してしまった。
 現在本丸跡地には、酒井忠勝を祀る小浜神社があり、石垣が境内と外を遮断するように存在している。近くには国道も通っているのだが、神社内は静かで良い感じだ。残っている本丸の石垣は比較的原型を留めており、天守台周辺の石組みは見事で、さすがは江戸幕府最初の大老の城である。