一乗谷朝倉氏遺跡
所在地  福井県福井市
JR一乗谷駅南2km県道18号線沿い
最終訪問日  2001/9/14
 戦国期に小京都と評された戦国大名越前朝倉氏の城下町の遺跡。
 朝倉氏は、一説には文明3年(1471)に敏景とも呼ばれる孝景が一乗谷に城を築いたというが、それ以前にも攻防があったという記述が史料にあり、どうやら孝景以前から本拠としていたようで、南北朝時代辺りから本拠にしていたという説もある。
 朝倉氏を戦国大名として脱皮させたのは、この一乗谷創始説もある孝景で、ちょうど応仁の乱の時期にあたり、一乗谷は京から避難してきた文化人によって大いに栄えた。その後、氏景、貞景、曾祖父と同名の孝景、義景と続いたが、天正元年(1573)に織田信長によって滅ぼされ、この時に一乗谷一帯も灰燼に帰している。朝倉氏滅亡後、前波吉継から改名した桂田長俊が一乗谷を拠点として治めたが、天正2年(1574)には富田長繁や一向一揆に攻められて滅び、新たに越前に入国した柴田勝家は北ノ庄を本拠にした為、城下町は遺跡となって埋もれた。
 城下の中心は朝倉氏の居館跡で、貴族趣味を持っていた最後の当主である義景が主に造成したと思われる。また、周辺には武家屋敷跡や諏訪館庭園などの当時の遺跡があり、城下の境を示す上木戸と下木戸の遺跡は、高土塁と石垣によって造られ、その規模は、長閑な農村風景の中にも過去の栄光を思い起こさせる。
 これらは、昭和42年の庭園の発掘から始まる大規模な発掘調査によって概要が明らかになり、昭和46年には一乗谷城を含めた278haの範囲が国の特別史跡に指定された。現在では、武家屋敷や朝倉館の堀、土塁などが綺麗に復元され、戦国時代の城下町がどのようであったかを知るには充分な様子になっており、徒歩でぶらぶら散策するには絶好の史跡になっている。また、山上の一乗谷城も遺構をよく留めており、かなり体力を要するものの、散策すると森林浴にもなって気持ちが良い。