龍王城 所在地 愛媛県内子町・五十崎町
松山道内子五十崎I.C.東400m
区分 山城
最終訪問日 2004/9/11
 伝承では、平安時代に越智喜多守が砦を築いたという。ちなみに、この越智氏の庶流だった玉澄が風早郡河野郷に住んで河野を称し、河野氏の祖となったといわれる。
 室町時代には、五十崎の地頭であった久保高実がこの城にいたらしいが、詳細はわからない。天正年間(1573-93.1)には大野一族であった城戸直盛・直宗父子が城主であったようだが、直盛は天正2年(1574)頃に討死したらしく、床崎綱実が直宗を後見して統治したという。天正年間の初頭に長宗我部氏の援助を受けた曽根宣高に城を奪われたとあるので、この直盛の討死は曽根宣高との争いによるものだろうか。その後、城戸氏は河野氏の支援も得て一旦は奪回するも、天正5年(1577)に宣高によって再び落城し、綱実は討死、直宗は没落して帰農したという。
 城戸氏を滅ぼして龍王城を支配した宣高は、河内吉行を城代として置いたが、その後、天正13年(1585)の四国征伐で小早川隆景に降伏し、龍王城も廃城になったとされる。
 現在は龍王の砦という展望台があり、この外観が戦国時代の無骨な望楼のようになっている。この展望台の周辺は公園化され、滑り台やグランドを始め、宿泊施設などもある為、公園化の際に遺構は消滅したと思われる。山の斜面や中腹などに多少は残っているかもしれないが、見て回った範囲ではそれらしいものは無かった。
展望台の龍王の砦から内子市街を望む